樺細工の歴史
現代では茶筒や茶櫃(ちゃびつ)などの茶道具、お盆やお皿などのテーブルウェアが主流の樺細工。
その起源は江戸時代でした。当時は下級武士が副業として、上級武士が身につける根付けや印籠、胴乱(薬・タバコなどの携帯容器)などの小物類をつくっていたそう。角館を治めていた佐竹北家により手厚く育まれ、地場産業として発展しました。
武士たちは、こだわりの樺細工の小物を自慢し合い、おしゃれを楽しんでいたのかもしれません。そんなふうに思いを巡らすと、時代が移り変わっても同じようにファッションを楽しむアイテムとしてMEMENTOSのブローチに樺細工シリーズができたことはうれしいことです。
大正から昭和の時代にかけてつくられていた胴乱
樺細工の産地「角館」
城下町として栄えた角館
江戸時代に秋田支藩の城下町として栄えた角館(かくのだて)が樺細工の産地。
町には今でも当時の武家屋敷が数多く残っており、桧木内川沿いにソメイヨシノが満開となる春には、桜の名所として多くの観光客が訪れますが、桜の花が散った後に一斉に木々を覆う新緑、赤や黄色に彩られる紅葉、静かに降り積もる真っ白な雪も武家屋敷の黒板塀を飾り、季節ごとに角館らしい風景を生み出します。
冬の武家屋敷通り
全盛期には200名以上いた樺細工の職人は今では50名前後に減少しましたが、日本唯一の樺細工の産地として、角館では樺細工の技法・技術が守られています。
素材はヤマザクラの樹皮
「樺細工」の名称
工芸品の名称に「樺」が含まれるため、「白樺」を連想してしまうかもしれませんが、樺細工の素材は「ヤマザクラ」という樹種の樹皮。
「樺細工」の語源については諸説あるようですが、万葉集でヤマザクラを「かには(迦仁波)」と表現した長歌があり、その音が「かば」に転化したものと言われているようです。
ヤマザクラの樹皮の入手
樺細工をつくるための桜の樹皮を入手するには、山師が山に入り、自生するヤマザクラから皮を剥いで採取します。それを「樺剥ぎ(かばはぎ)」と呼びます。
木が生きている状態でなければ皮を剥ぐことができないため、倒木して皮を剥ぐのではなく、立木に登り、皮に切り込みを入れて剥ぎます。
樺剥ぎができるのは、1年のうち梅雨が終わった頃から9月頃の数ヶ月間のみ。雨季を経て水分を含んだ皮は、山師が切れ目を入れると、きれいに剥がれます。
全体の3分の1程度の面積であれば、立木から樹皮を剥いでも、木が枯れることはありません。皮の一部を剥がされた木はその後も成長し続け、剥がされた部分には新しい皮が再生されます。再生した皮は「二度皮」と呼ばれ、樺細工の素材として用いられます。
日本全国にヤマザクラは自生していますが、寒暖の差が激しく、厳しい環境で育った東北地方のヤマザクラ、特にオオヤマザクラ・カスミザクラの樹皮は良質で、樺細工づくりに適していると言われています。
「素材」になるまで
生木から剥がされたばかりの桜皮は水分を多く含んでいるため、すぐに樺細工の素材として使うことはできません。風通しの良いところで約2年もの期間をかけて乾燥させ、ようやく樺細工をつくるのに適した素材となります。
乾燥させた後でも、木は常に動いているそうです。職人たちは木の「息づかい」のようなものを感じ取りながら、会話するかのように木と接しているのかもしれません。
採取した桜皮を乾燥させる(藤木伝四郎商店の工場にて)
樺削り
樺削り用の刃物で桜皮の表面を削り、滑らかにしている樺細工職人
ヤマザクラの原皮は、自然にさらされていた状態のまま採取されるため、ゴツゴツ・ザラザラした感触で、灰褐色。自然のままの質感を生かして製品に用いるものは「霜降皮」と呼ばれ、貴重な皮です。
原皮がボサボサしていて荒れている場合は、そのまま製品に用いることができないため、職人が専用の刃物などを使って表面を削り、滑らかにした後、素材として使われます。表面を削ると現れる赤茶色の層に磨きをかけ、滑らかに仕上げたものは「無地皮」と呼ばれます。
素材 ヤマザクラの魅力
樺細工に使われている桜皮は、木が生えている土壌、育つ環境や樹齢、そして皮を剥がされる条件によって多様な表情が生まれ、特徴ごとに呼び名が付けられています。
同じ樹種の皮に多くの名前がつけられていることからも、ヤマザクラの樹皮は表情豊かであることが分かります。
桜皮を人間に重ねてしまうのは私だけでしょうか。
例えば、「ひび皮」は寒冷地などの厳しい環境で育った老木に多く、縦に無数にヒビが入った皮の名称です。まるで人間が歳を重ねるにしたがって顔や体にシワを刻んでいくようで、妙に感情移入してしまいます。
人間は、シワが増えたり、シワが深くなったりすると、それを「劣化」としてネガティブに捉えることが多いかもしれません。でも、逆にそれを木に置き換えると、変化を前向きに受け入れられることもあります。歳をとることを「年輪を刻む」と表現して「成長」と感じさせてくれたり、樹齢数百年の木をありがたがって神様として祀ったり。
人間にも木にも、歳を重ねることで増す魅力があるんですね。
ヤマザクラの「ひび皮」
それに、一度皮を剥いだ後、7年ほどかけて再生した皮を再び採取する「二度皮」。聞いているだけで、とても痛々しいのですが、再生しようとするヤマザクラの底力に感動します。
黄色や薄い茶色の部分が多く、他の皮とは見た目が大きく異なります。元々育っていた皮よりも若くて新しい皮なので、柔らかく、コルクのような感触です。
「再生した皮さえも剥ぐなんて、ひどい」という見方もあるかもしれませんが、素材を無駄なく使っているとも言えます。
木を切り倒さず、生かしたまま素材を入手し続けることができるというのは、樺細工の大きな特徴とも言えます。
ヤマザクラの「二度皮」
ヤマザクラの原皮の表面を削っていくと、「金系皮」と呼ばれる金色の層が現れることがあります。すべての皮がこの層を持っているわけではありません。
削り過ぎると「金系皮」は失われてしまうため、慎重に磨かなければなりません。皮を削る職人は、子供の輝く個性を、見逃さないよう注意深く探す親のような気持ちかもしれません。
桜皮の面積が広く使われている製品には複数の皮の特徴が混ざっていることがあります。例えば、「無地皮」の茶筒に「金系皮」の特徴である金色の皮。製品としては嫌われることがあるようですが、実は希少な特徴です。
ヤマザクラの「金系皮」
自然がつくる皮の表情の違いを個性として肯定する気持ちで見ると、樺細工選びはより楽しくなります。基準を決めて、それから外れるものは「不良品」や「欠陥品」、という見方では、樺細工選びは消去法になり、もったいない気がします。
桜皮の機能
樺細工の定番製品である茶筒。自然素材である桜皮を用いているため、通気性と同時に水分調整の機能があると言われています。立木から剥がされ、製品として加工された後も、桜皮は息をしているかのよう。
技法
樺細工は桜皮を素材に3種類の技法を用いてつくられます。
円柱木型に桜皮と経木を巻き付けて筒を成形する技法「型もの」
木の板などに桜皮を貼り付け、箱を成形する技法「木地もの」
何枚も重ねた桜皮をニカワで接着し、その塊を磨いたり彫刻したりする「たたみもの」
MEMENTOSの樺細工のブローチには「たたみもの」の技術が用いられています。ブローチを横から見ると、桜皮が重なっているのが分かります。
道具
どの技法を用いるにも、桜皮をニカワで接着させるため、熱したコテをあてます。
職人は桶に張った水に熱したコテを一瞬入れ、水が蒸発する「ジュッ」という音で温度を確かめながら、コテを桜皮にあてます。
温度が低過ぎると接着がうまくいかず、高過ぎると皮が「火傷」をして変色や凹凸の原因になってしまいます。
熱いコテを使って桜皮を接着させる
樺細工づくりに使われる「棒ニカワ」
樺細工がつくられ始めたのは江戸時代。使う道具や材料は常に変化しています。
現代では、接着剤としての役割を果たすニカワ(動物の皮や骨を煮出してゼラチンやコラーゲンなどの成分を抽出したもの)は粉状のものが多いようですが、以前は「棒ニカワ」が主流だったそう。ニカワはあたためて、溶かして使います。
樺細工は、素材を生かした無垢の研磨仕上げの製品が多いですが、それだけ研磨の技術が大事になってきます。
現代では、野生の桜皮のゴツゴツした表面を専用の刃物で削り取って整えた後、傷がなくなるまでサンドペーパーで研磨し、滑らかに仕上げます。
しかし、サンドペーパーがなかった時代には自然のものを使って研磨していたそうです。
例えば、トクサという植物。茎を開き、木の板に貼り付けて研磨に使っていたようです。トクサの茎の表面をよく見ると、縦に規則的に線が入っていて、凸凹があります。
また、ムクという木の葉。葉の表面はザラザラしています。何枚も重ね合わせたものは面積の広い部分を研磨するのに使われたそう。
樺細工づくりで研磨に使われていたトクサ
樺細工づくりで研磨に使われていたムクの葉
創業1851年から樺細工をつくり続ける
藤木伝四郎商店
藤木伝四郎商店の
樺細工
7代目伝四郎、三沢知子さん
樺細工の産地で1851年の創業以来、桜皮と向き合い、丁寧なものづくりを続けてきた藤木伝四郎商店。
現在は三沢知子さんが7代目として、初代伝四郎の「品を磨き、信頼を磨く」の精神を引き継いでいます。
藤木伝四郎商店の7代目・三沢知子さん
樺細工のある生活を
「角館伝四郎」の製品「帯筒」
時代の変化に応じ、生活に取り入れやすい樺細工づくりを続けてきた藤木伝四郎商店。
6代目が2009年に始めたブランド「角館伝四郎」の製品には多くの新しい挑戦が見られます。例えば、桜皮のみを使う製品が主流だった時代から、プロダクトデザイナーを起用し、桜皮以外の素材と桜皮を組み合わせたデザイン性の高い製品を生み出しています。
そのひとつが「帯筒」。茶筒の身と蓋の隙間から桜皮が帯のようにのぞくデザインですが、外筒にはくるみ、かえでなど、色々な樹種の突板を使っています。
7代目伝四郎がつくりたいもの
樺細工で代表的な茶筒。原皮の表面を削って磨いた「無地皮」の茶筒を知っている方は多いかもしれませんが、伝統工芸士がつくる樺細工には、細かい細工が施されたものや色々な皮を使ったものなど、実は種類は様々。
「今のライフスタイルに合った製品を生み出すと同時に、日々の鍛錬によって磨かれた職人による高い品質の製品をつくり続けることで、職人の技術の向上や藤木伝四郎商店の信頼を守ることに貢献したい」と三沢さんは言います。
伝統工芸士による作品
と
樺細工
私が藤木伝四郎商店の樺細工に出会ったのは、2015年。とは言っても、私が生まれた1980年代、秋田県内の家庭には必ずと言っていいほど樺細工の茶筒がありましたし、実際にはもっと前に出会っていたかもしれません。
生活の中に樺細工があることが当たり前の地域で生まれ育ったからこそ、その価値には気づきにくく、「古くさい」「おじいちゃん・おばあちゃんの家にある茶筒」というイメージを、私は大人になってからも引きずっていました。
2015年の藤木伝四郎商店の樺細工との出会いは、ブランド「角館伝四郎」の「輪筒」という製品。私がちょうど工芸品やものづくりに興味を持ち始めた頃で、偶然目にした時には「こんなに新しい樺細工があるんだ!」と驚きました。6代目が職人やデザイナーと苦労して生み出したブランド最初の商品であることを後から知った時には胸が熱くなりました。
この出会いをきっかけに、私は工芸品の世界に魅了されていきました。
この時、私はデザイン性の高い「新しい樺細工」に惹かれていたはずでした。しかし、不思議なことに、新しい製品をきっかけに樺細工について学ぶほど、私は桜皮そのものの風合いが生かされた製品に、より魅力を感じるようになりました。
以前は古くさいと感じた「霜降皮」の茶筒は今ではお気に入りで、桜の原皮のゴツゴツした手触りや、触れるほどに手の脂によって落ち着いた色に変化すると言われる経年変化を楽しみに使っています。
実は、秋田県内の実家に帰省した際にすごい宝物を発見しました。経年変化した霜降皮の茶筒です。何気なく使われていて全く気づかなかったのですが、母が茶葉を入れて約30年間、毎日使っていたそうで、まさに言われている通り、黒く落ち着いた色に変化し、独特の光沢を帯びていました。
樺細工の茶筒は、特に秋田県内では人気の引出物・贈答品だったそうで、生活の一部として使われ続けるロングセラーだったのだと改めて感じました。
約30年使われた霜降皮の茶筒(左)と新しい霜降皮の茶筒(右)
約30年使われた霜降皮の茶筒の独特な艶
日常で使われていた樺細工も魅力的ですが、1970〜80年代に技術の高い職人によってつくられた作品には、不思議と時代の経過を感じさせない力を感じると共に、素材をいかしつつ普遍的な美を追求した当時の職人たちへ敬意を抱きます。
MEMENTOSのブローチを通じ、樺細工を過去の私のように「古くさい」と感じていた方や、今まで樺細工について知る機会のなかった方に、桜皮の魅力や樺細工の技を知っていただき、日常的に樺細工の存在を感じていただけたらうれしく思います。